〜若手芸人といく!奥浅草モノづくり歴史散策〜
参加2500円事前申込み
清々しい秋晴れ。本日は絶好の散歩日和です。出発を前に、今回の奥浅草歴史散歩に参加される方々には受信機とイヤホンが配られました。ガイドを担当される日比谷孟俊先生、毛塚雅清さん、そして神田紅佳さんのお話がそこから聞こえてくるというシステムです。それにより、江戸の文化と奥浅草の歴史に関するお話が、二十名を超える方々に歩きながらにして一斉に伝わるのです。このシステムは、ガイドの方々は大声をあげる必要がなくなり、さらに散歩中の参加者の皆様の列も乱れにくくなるという意味で、素晴らしいものであったと筆者は感じました。
吾妻橋浅草水上バス乗り場前を出発し、スカイツリーを右目に隅田川沿いを歩いていきます。最初の目的地である待乳山聖天への道中では主に、隅田川にかかる橋の特徴や、空襲に遭われた方々への祈りが込められた千羽鶴のことが語られました。また、着物や髪型の作り方について、神田紅佳さんとお話をされる方々もおられました。目に入ったものについて比較的自由に、様々な方との会話を楽しみながら目的地をめぐるという点に、散歩ならではのよさを感じ取ることができました。
待乳山聖天に到着すると、記念すべき本日一枚目の集合写真が撮影されました。遠方から来られた方々や、地元の方々。この日に偶然集われた皆様にとって、このような写真はよい思い出になることでしょう。カメラマンの方々の腕が鳴ります。
境内に足を踏み入れると、そこには待乳山聖天を象徴する「二股大根と巾着のロゴマーク」が飾られていました。珍しい、と表現してよいのでしょうか。境内には生の大根が置かれており、参拝される方々の多くは、その大根をお供えしていました。そして信徒会館を訪れると、そこには待乳山を題材にしたいくつかの浮世絵が飾られていました。本日のツアーのため、特別に展示してくださったという美しい作品の数々は、一つひとつが輝いておりました。その後は境内において、待乳山の起源が神田紅佳さんによって語られました。引き込まれるような、迫力のあるお話に、参加者の皆様からは大きな拍手が送られました。
「さくらレール」という無料のゴンドラを尻目に、一行は次の目的地である今戸神社に向けて歩きだします。その可愛らしいモチーフから、今女性に人気のパワースポットとして有名だという神社だけに、皆様の期待も膨らみます。ぽかぽか陽気の奥浅草歴史散歩は、始まったばかりです。
今戸神社は、招き猫発祥の地であるとされております。集合写真の撮影を終えると、そこには「人間パワースポット」と呼ばれておられるという、宮司の奥様であられる市野恵子さんがいらっしゃいました。市野さんからは、招き猫の元祖のお話や恋愛運を向上させる方法が語られました。それだけでなく、参加者の皆様からの様々な質問にその場で答えるという企画もあり、大きな盛り上がりを見せていました。お話が終わると、なんと一人ひとりに市野さんから手渡しで、お守りが授けられました。この日はハート型の眼鏡をかけておられた市野さん。人間パワースポットとして、SNS上やテレビでも有名な方から直接いただいたということで、大変なご利益がありそうな予感がありました。
招き猫発祥の地ということもあり、神社には猫の形をしたじょうろや、招き猫に埋め尽くされた社務所がありました。そこには多くの女性の姿が見られ、その話題性を感じ取ることができました。また、恋愛に関する祈りのこもった絵馬がびっしりと並んでいる様子や、お洒落な二人掛けの椅子が並ぶ光景は、今戸神社が強力なパワースポットであることを象徴しているようでありました。
様々なお店が立ち並ぶ山谷掘広場は、多くのお客様で賑わっておりました。実は浅草では、長い間革靴が作り続けられています。浅草エーラウンドは、そのような街の魅力に触れ合うことのできる貴重な機会を提供しています。今戸神社から歩いてほど近い山谷掘広場には、革製品を販売するお店はもちろん、レザークラフト体験ができるテントも設置されていました。そのテントでは、レザークラフトに真剣な眼差しで挑戦される方が多くおられました。カバンや靴、名刺入れや財布など、色とりどりの革製品が並ぶ様子からは、ヨーロッパの市場が想起されました。
また、広場には食べ物を販売しているお店も数多く見られました。中には福島県の団体や、エゾシカのお肉を取り扱うお店といった特別なものもあり、秋晴れの下、そういったものに舌鼓を打つお客様がそこここにおられました。ツアー参加者の方々も、果物のジュースやクレープを食べつつ、この先の道のりへ力を蓄えておられるようでした。
次なる目的地である見返り柳、そして吉原大門まではかなりの距離があります。参加者の皆様は日比谷先生と毛塚さん、神田紅佳さんのお話を味わいながら、少しずつ歩みを進められます。有名なお花見スポットを通過すると、お洒落な浅草高等学校が見えて参りました。アーチがたくさん用いられた円柱のような外見からは、まるでクリムトの『接吻』のような印象を受けました。また住宅街にある公園では、たくさんのお子さまが遊んでいました。そこにはボルダリングができそうな遊具があり、参加者の方からは「今時だな」という感想が聞こえてきました。太陽がかなり高い位置に昇ったこの時間、歩いていると、次第に身体が熱を帯びてくるのがわかります。
江戸時代、吉原に向かう人が実際に通っていたという道を歩いている際、浅草紙についてのとても興味深いお話がありました。「冷やかし」という言葉の語源になったと言われる吉原と浅草紙との関係に、参加者の皆様からは感嘆の声が漏れていました。至る所に昔の浅草の様子が紹介された立て看板が設置されており、そのような道を歩くだけで、まさに「浅草歴史散歩」と言えるような体験をしていると感じることができます。
吉原は、テーマパークのようなところであったといいます。入場料などがあるのではなく、その敷地に入ること自体が特別であるという意味で、です。吉原の内部は外から見えないようになっており、そのための工夫の一つとして入り口は大きなカーブを描いていました。そのカーブに入る前のところに、(今は交差点になっていましたが、)「見返り柳」があります。吉原で遊んだ人々が、名残惜しい想いを抱きつつ、この柳の辺りで吉原の方を振り返ったことからその名がつけられたといいます。そしてそのカーブの先、吉原の入り口には吉原大門があります。その周辺は土地に高低差があり、道が複雑に入り組んでいるようでした。昔ながらのお店が立ち並ぶ道を進んでいくと、当時の者がそのまま現存しているという石垣のところにたどり着きました。その石垣は、最近出来たばかりのきれいな壁などとは違い、世の中の色んなものを吸い込んだような、味のある見た目をしておりました。
ここまでかなりの距離を歩いてきました。木陰が涼しい、物静かな公園で歩みを止めた一行は、歴史的な絵や資料を用いた、日比谷孟俊先生の吉原に関する貴重な公演に聞き入っています。吉原では、端午の節句や星祭り(現在の七夕)といった様々なイベントが年間を通して行われていたといいます。それに加え、当時吉原は生のステージ、いわゆるライブを聞くことができる数少ない場であったそうです。そういったことも、吉原をテーマパークに例えた一つの理由であると日比谷先生は語られます。
花魁については、かなり多くのことが語られました。江戸幕府によって制度的に擁護されていたため、当時の地位が高かったという背景もあり、その中でもトップの花魁が吉原で活動をしていたそうです。実際にトップの花魁が書いたという書や、艶やかな着物を身にまとった花魁の絵からは、一つの文化を見て取ることができました。日比谷先生は、他にも吉原についての様々なことをお話されました。歴史として、無論江戸幕府については学校で学んだことがあった筆者ですが、日比谷先生のお話は聞いたことのないものばかりで、とても新鮮でありました。歴史や文化は、見方を変えることで全く異なるものになるということ、つまり、それらについて自らが知っているのはほんの一面にすぎないということを痛感しました。
公園を出発し、再び歩みを進める一行に、昔の吉原を想像しながら歩くことを勧められた日比谷先生。当時の様子を思い浮かべながら、絵に描かれた現存する道を実際に歩いていると、まるでタイムスリップをしたような不思議な感じがしました。五つの稲荷神社を合祀したという吉原神社から、自然があふれる吉原弁財天本宮を経由し、参加者の皆様は昼食を摂ることになっている「助六の宿貞千代」を目指します。
千束通りには、現在もたくさんのお店が軒を連ねています。吉原があったということもあり、昔は布団屋や薬屋、家具屋が多かったという商店街。今では昔ながらの商店がある一方で、名前が英語のお店もあり、そういった点からは歴史と、時の経過を同時に感じ取ることができました。
「武士たちが秘密の会合をしている。」助六の宿貞千代は、そのような趣のある外観をしていました。海老や鰻。絶品の料理を、畳のお部屋において味わうことで疲れも吹き飛んだのではないでしょうか。たくさん歩いた後の、畳の程よい固さはとても心地よかったです。
そのような日本らしいお部屋で、和食を楽しんだ後の講談は格別であったことでしょう。神田紅佳さんによる「振袖火事」は、大災害として名高い明暦の大火にまつわるお話です。飲み物を口にふくみながら、あるいは足を伸ばしながら、長い距離を歩いてこられた皆様は、身体を休めながら講談を楽しんでいるようでありました。歓声が沸くシーンや、大きな拍手が起こるシーンもあり、大きな盛り上がりを見せた神田紅佳さんのお話。筆者が最も印象的であったのは、江戸の街中に火が燃え広がっていくシーンです。次々と繰り出される聞き慣れた地名は、大火の怒涛の勢いをイメージさせるのと同時に、火が街をめぐる様を頭の中に鮮明に想起させました。本日街を歩いてきたため、その様子をより想像しやすかったのではないでしょうか。そのシーンでは、筆者のみならず参加者の皆様も神田紅佳さんのお話に、特に引き込まれていたように感じられました。
櫻川米七さんは登場されるや否や、会場の空気を鷲掴みにされたようでありました。いくつかの幇間芸を披露された櫻川米七さん。芸を始める前や、芸と芸との間のお話も大変面白く、会場は、その作り出された雰囲気に包まれておりました。動作だけで18歳と88歳の女性を演じ分ける芸、あるいは屏風を使った、いわゆるパントマイムなど、どれも会場にあるものと御身一つから生み出されていました。着物をまとい、古くから伝わる日本の曲に乗せて歌い踊られる櫻川米七さんは、まさに日本の伝統文化を体現されておりました。メディアによく登場するという意味で世間的に有名なヒップホップダンスや、ポップミュージックとは異なる、古き良き日本を味わうことができました。
会場を出発すると、一行は最後の目的地である浅草寺へ向かいます。久米平内堂の歴史についての解説があり、四時間以上に及ぶツアーが無事終了しました。データによると、ここまで一万歩以上を歩いてこられた皆様。記念撮影をされた際の表情からは、達成感が伝わってくるようでありました。
これまで歩いてきたところとは異なり、日本を代表する有名な観光地である最終目的地浅草寺は、非常に多くの観光客の方々であふれかえっていました。そのような代表的な観光地としての浅草ではなく、奥浅草を中心に散歩をしてきた今回のツアー。参加者の皆様は一味違う、趣のある浅草を存分に満喫できたのではないでしょうか。普段よりも、浅草寺が賑やかに感じられました。
レポート:芸楽祭ボランティア 頓所夕弥
写真:芸楽祭ボランティア 江頭幸宏、鎌田俊英