中高生ステージ

~台東区内の7つの中学・高校演劇部が一堂に会する、熱い競演!~

無料鑑賞

2018年9月2日(日)
江戸まちたいとう芸楽祭 台東区中高生ステージ
~台東区内の7つの中学・高校演劇部が一堂に会する、熱い競演!~

赤、黒、透明、そして白。止むことを知らない雨の中、台東区生涯学習センターの前には色とりどりの傘が身を寄せ合っていました。先週までの暑さは見る影もなく、肌寒さすら感じられる、そんな秋の始まりの日に、「台東区中高生ステージ」は開催されました。


会場となるミレニアムホールは木の香りを携え、観客の心を落ち着かせているようでありました。一方で、演劇のプロフェッショナルによる講評が待っているということもあり、出番を控えた中学生たちには少なからず緊張感があるように思われます。そのようなコントラストが、会場全体を独特な雰囲気にしているように感じられました。


そこに風穴を開けるが如く、駒形中学校による公演が始まりました。えせ(?)関西弁の女の子と冷めた女の子による、つかみどころのない掛け合いからは、今後どのような展開につながっていくのかが想像できませんでした。とんでもないキザ(?)兄貴と、しっかりした妹による掛け合いには、社会現象になった「某スマホゲーム」が登場しました。その兄妹とは別に、暑苦しい姉と「ゆるふわ」な妹という対象的な姉妹も現れます。言動が恐ろしく遅い女の子と、何かをせずにはいられないといった活発な女の子、そして「しらいゆき」という人物。登場人物が多く、よくわからない会話が続く中、イメージカラーのスカーフを「しらいゆき」に巻くと彼女に異変が起きます。「そういうことか」といった空気が、観客の皆様から漏れているようでした。


この劇は、一人ひとりのキャラクターが確立していないと成り立たないものでした。「ムダが多くてよかった。」「背伸びをしない、等身大の劇なのが良い」といったご意見がプロの方々からあったように、衣装や言動にこだわることによる差別化、終盤まで観客をモヤモヤさせるやりとりといったものが、全てクライマックスに結びついたのです。筆者にとっては使用されていた音楽が懐かしく、思わず小学校時代を想起してしました。それはアイデンティティを確立していく頃であったため、より身に染みるものがありました。「ありがとうございました!」と観客に挨拶したときのはじけるような笑顔からは、達成感と爽快感が伝わってくるようでありました。


次の幕が上がると、そこにはプロの方が「きれいである」と評された、美しいシルエットがありました。「もし、この世界が、誰かが見ている夢だったら」という問いを、観客に投げかけて始まった「Alice-世界がアリスの見ている夢だったら」は、柏葉中学校による上演です。馴染みのある白いウサギによって夢の世界に連れ込まれたアリスは、そこで姉を捜します。姉とその恋人には何があったのでしょうか。急に取り乱す姉には、観客の好奇心を煽るものがありました。「夢と現実」という大きなテーマのもと描かれたこの作品ですが、それを中学生が演じるということに何らかの意味があるように感じられました。そこに、終始微笑んでいた王の不気味さや、会場を笑いが包んだ、プロの方も絶賛の「おれの台詞が少ない」というシーンがアクセントを加える、大変印象的な舞台でありました。


観客席を向いて会話が繰り広げられるシーンが多く、「良い舞台だった」と感想を述べられる観客の方もおられ、その声量と演技に思わず見入ってしまった方はたくさんおられたに違いありません。また「センスが良い」とプロの方も認められた衣装は、作品の世界観を際立たせていました。中学生と、例えば筆者では背景や価値観が大きく異なるため、思い描く夢は違うことでしょう。現代の中学生の考える夢とは、そして冒頭の問い「もし、この世界が、誰かが見ている夢だったら」に対する答えとはどのようなものなのかといった、様々なことを考えさせられる舞台でありました。舞台上で挨拶を終え、観客席に手を振る皆様の感極まった表情は忘れられません。


中学生の部を締めくくったのは、おどろおどろしい舞台でありました。「個性」をテーマに、会場の空気をつかんだのは白鷗高等学校附属中学校です。「キャラ」や「社畜」といった現代的なキーワードが飛び出す中、様々な個性を持った人物が登場します。「個性破棄法」なる法律の下、次々と逮捕されていくクラスメイトたち。そのような社会における「無個性」とは何なのでしょうか。背中に冷たいものを感じずにはいられなかった、シルエットが踊り狂うシーンや、「個性」という言葉を連呼するシーン。あらゆるものが舞台を恐ろしいものに仕立て上げていましたが、それらを経て、物語は衝撃の最後を迎えました。幕が下りた時の会場を包んだ沈黙は、筆舌に尽くしがたいものがありました。


「最後の静寂を作った君たちの勝ちだ。」プロの方からの講評において、そのように評価された生徒の顔には、満足感あふれる笑みが浮かんでいました。現代では特に、クラスや特定のグループにおいて、ある「キャラ」を演じている方がいると思われます。会社に染まり、いわゆる「社畜」となった方もいるでしょう。この上演により、焦燥感を掻き立てられた方、あるいは自身を顧みた方もおられるでしょう。思春期を生きる中学生が、そのようなテーマで行った演劇は、会場を訪れた多くの方々の心に突き刺さったに違いありません。


スイッチ総研の皆様の舞台に、期待が高まります。普段から公園や広場において参加型の演劇を行われている皆様が、この日は台東区中高生ステージに登場されました。ペンのキャップを外す、あるいは椅子に座る、旗を揚げるといった「スイッチ」を押すことで何かが起こるという新しい演劇に、出演を終えたばかりの中学生の方々が参加されました。その、まさに夢の競演に会場は大いに盛り上がっていました。スイッチ総研の皆様は来る9月22日(土)に、浅草花やしきにて演劇を行われることになっております。読者の皆様には是非参加していただき、その斬新な作品を鑑賞していただければと思います。


お昼休みが終わると、いよいよ高校生の部が始まりました。岩倉高等学校の皆様による「つむじ」からは、爽やかな夏の香りがするようでした。東京出身であり、人といることを好まず、ゲームばかりの少年草太と、不思議な少女つむじの物語はとても繊細でありました。それが、スクープを狙う女性フリーライターと、彼女に引っ張り回される男性カメラマンの物語の力強さと絶妙に対比されていました。「絶妙に」と表現したのは、後者の中にも儚い部分が見え隠れしていたためです。つむじは元気でかわいらしい、「萌え袖」の似合う少女であり、草太はおどおどとしていながらも、やるときはやる少年であります。「サバサバ」としており、仕事に情熱を注ぐ女性フリーライターと、その尻に敷かれているかのような頼りないカメラマン。演じた皆様それぞれが、そのような四人の役に見事にはまっていると筆者は感じました。


つむじの父親の声に、会場はざわついていました。あまりにも怪しかったためでしょう。物語を左右するシリアスな場面におけるカメラマンの言動に、会場からは笑いが漏れました。あまりにも突拍子のないことを、良い間と声で言ったためでしょう。この作品に対しては、「好感度が高い」に加え、「素直でよい」というプロの方々からの評価がありました。「つむじ」は、二つの物語、すなわち登場人物の四人が交錯することによって様々な表情を見せたと言えるでしょう。夏の余韻を感じさせてくれる、そんな舞台でありました。


登場人物の紹介をダンスに乗せて、忍岡高等学校の皆様による「イラムサ様」の幕が上がります。この作品は大変面白かったです。観客席から生まれた笑いの多さが何よりの証拠です。しかし手放しには楽しめない不気味さが、そこにはありました。修学旅行の班活動で集まった五人を取り巻く恋物語は、ある「おまじない」を使うことで思いもよらぬ展開を見せます。「イラムサ様」とは、謎の妹ポジション「花ちゃん」とは一体何者なのでしょうか。修学旅行の班が同じというシチュエーションを現役の高校生が演じることで、作品にはこの上ないリアリティが備わっていました。「エモい」や、「メンヘラ」あるいは「芋けんぴ」もそうかもしれません。そのような、近年注目を集めた言葉が散りばめられていたことも、舞台における「表の」すなわち、高校生の日常という世界観を強調しているように感じられました。それらによって、この物語における不気味さがより際立っていたように思われます。舞台終了後には、「イラムサ様」と「花ちゃん」に関わる物語の謎について話し合う観客の方々もおられ、忍岡高等学校の皆様が残した特異なインパクトを見て取ることができました。


プロの方々からは「皆さんが演技を楽しんでいる」というお言葉や、「脚本が(良い意味で)不条理である」という評価がありました。五人のうちの一人、「やまだたろう」による「やまだたろう節」がさく裂していました。「メンヘラ」な少女は強烈でした。刀を振り下ろした際の、背景におけるエフェクトは巧みでした。すべてのことが、この舞台を形作るパーツになっていると痛感しました。


「ターミナル」は、悩みのある人々が行き着く場所です。白鷗高等学校の皆様による独特な世界に、観客席が取り込まれているようでした。国民的アニメーションに登場するカバのキャラクター、かの有名な「黄色い鳥」に加え、宇宙を走る列車の物語に出てくるキャラクターなど、ビジュアル面に優れた登場人物の悩みを、ウサギの駅長とともに解決していく主人公。彼女も「ターミナル」にたどり着いた一人です。二番線に到着した彼女から始まる物語は、どのような結末を迎えるのでしょうか。想像の斜め上を行く展開に、会場には得も言われぬ雰囲気が漂っていました。


プロの方より、「意図のある動きをしている」と評された主人公、面白いキャラクターとの評価を得たウサギの駅長、それぞれを演じた方は大きな手ごたえを感じたことでしょう。また「ストーリーの発想が良い」というお言葉もあり、今回の上演が、白鷗高等学校の皆様の今後につながっていくことは想像に難くありませんでした。また、筆者が特に印象的であったのは講評の際における主演の女性のリアクションでした。「感情的なシーンほど、観客に言葉を伝えるのが難しい」というプロのお言葉に、大きくうなずく彼女からは、高ぶる向上心を感じました。帰り際に、円になって今後について話し合う白鷗高等学校の皆様の目は、さらなる高みを見据えているようでありました。


見るからに怪しげな二人組が観客席の後方に登場し、ステージまで棺を運びます。本日のトリを務められたのは上野高等学校の皆様による「N 9.5」です。かの有名な「ハムレット」と密接な関係があるこの作品には、至る所にその要素が組み込まれておりました。お嬢様が通うある高等学校において、仲良しの四人組でダンシング書道サークルを立ち上げた主人公でしたが…


墓場のシーンに続き、紛糾する保護者会という重いムードから物語は始まっていきました。しかしこの作品は時系列に特徴があったため、そこから明るい雰囲気になっていきます。というのも、作中には主人公の小学生時代も描かれていたため、高校生が元気いっぱいの小学生を演じていたのです。心からなりきる皆様は、本物の小学生そのものでした。彼女たちが某百円ショップで買ってもらったという白いリコーダーを吹き鳴らす様子に、観客の方々は笑顔を浮かべておられました。高校生時代の序盤においても、主人公のデータをすべて把握していると自負する、恐ろしく「キャラ」の立った少年や、ダンシング書道のパフォーマンスの存在により、ステージには比較的温かいムードが漂っているように思われました。ところが、あることをきっかけに物語が急展開を見せ、そのまま怒涛の最後を迎えます。観客の皆様は終始ステージに釘付けであったに違いありません。


「演劇を知っている、演劇に対するIQが高い。」「場面の転換が巧みで、発生も良い。」そうしたプロの方々からの高い評価からも、上野高等学校の皆様の舞台は素晴らしく、完成されていたと言えるでしょう。冒頭に棺として使用した木箱が次の瞬間には電話ボックスになり、さらには衝立に、保護者会の椅子は瞬く間に教室の椅子に、それぞれ変貌を遂げました。ダンスをしながら、あるいは歌を歌いながら、それらの道具を動かすことで場面を巧みに転換することで、作品のリズム感がより際立っていたと感じました。また「ハムレット」に関して、少しかじった程度である筆者は、今回のステージを拝見したことで、それを隅々まで読み、謎に迫りたいと強く感じました。観客の皆様も同じような気持ちになったのではないでしょうか。上演後、作品について話し合う方々が多く見られました。


集合写真撮影時の笑顔は輝いていました。そしてすべてのプログラムが終わった後、出演後の生徒の皆様が撤収作業を手伝っておられたことも印象に残っております。また、本日は入場無料ということもあり、出演者のご家族はもちろん、お友だちや先輩など、多くの方が舞台を楽しんでおられました。さらにプロの方々からの講評もあり、演劇をされるうえで、このような場があるということには非常に大きな意味があるのではないでしょうか。


芸能が盛んである台東区において、演劇を部活動とされる中学生、高校生の皆様の姿。この日会場を訪れてくださった皆様も、何かを感じずにはいられなかったことでしょう。本日の作品は、どれも思春期を、そして青春を生きる皆様が演じることでより深い意味を持つものになっていたと筆者は考えます。その中で、それぞれの学校特有の色が出ていた、すなわち個性が発揮されていたと感じられました。朝から降っていた雨もプログラム終了時には止み、足取りも軽く帰路につかれる生徒の皆様の後ろ姿は、どこかたくましく見えました。


レポート:芸楽祭ボランティア 頓所夕弥
写真:和田咲子、芸楽祭ボランティア 江頭幸宏